旅と夢(2018 アイデムフォトギャラリー・シリウス)

インドへ行きたい
標高5150mに位置するエベレストのベースキャンプに到着した。目の前にそびえ立つエベレストに興奮したのも束の間、酸素が体内に回らず頭痛とめまいを感じた僕は、砂糖がたっぷりと入った甘ったるいチャイを飲んでいた。安息の場であるテントの中でチベット人男性たちが談笑しているのをぼんやり眺めていると、前歯の欠けた愛嬌のある男性と目が合った。「ちょっといい?」 そう尋ねた僕は、チベットの食事や暮らしについて話を聞いた。優しい顔で答えてくれる男性に更にもう1つと「夢」を尋ねた。 「夢?そんなの、もうないよ」ガハハと笑う表情に惹かれるようにその男性をじっと眺めていると、「いつか、ダライ・ラマ法王が住むインドへは行ってみたいな」と、ぼそりとつぶやいた。

 

日本で勉強する
チベットからネパールへと入ると、色鮮やかな三角帽子をかぶっている人が目につくようになった。バスの運転手、お土産売り、レストランのホール。様々な場面でその帽子を見かける。話を聞いてみるとネパールの正装でトピー帽だという。気に入ったので、お店を訪れて青年から一枚買うことにした。青年に話を聞くと、最近では若者の間ではあまりこの帽子は被られなくなっているらしい。伝統衣装とは異なるが、そういえば日本でもプロ野球の帽子を被っている少年が随分と減ったなと連想し、自分が少年時代だった頃に被っていた西武ライオンズの帽子を遠いカトマンズの地で思い出した。青年の兄は日本で勉強中のようで、自分も兄のように日本で勉強することが夢だと話してくれた。

 

映画監督
襟を立てた黒い革ジャンに身を包み、髪の毛をしっかりとセットした青年がゲストハウスに帰ってきた。口笛を吹きながらソファーに座ったその青年に、世界各地から集まった宿泊者たちの視線が集まる。大きな動作と共に、自信に満ちたような瞳の青年が、偶然にもその日その場所に集まった人々に声をかけていく。ゲストハウスの共有スペースは、彼を囲むようにして自然と輪ができていった。写真を撮り合い、その場が盛り上ってきたのも束の間、「時間だ。映画を見に行ってくる」と、青年は風のようにその場を去っていった。もしかすると、彼が監督した映画が公開されているかもしれない。そんな期待を抱かせてくれるような青年だった。

 

愛や家族や仕事がほしい
「おかえり、今日はどこへ行っていたの?」「明日は隣のレストランが休みだから、気をつけてね!」北京の街を適当に歩き、まるで我が家のようにゲストハウスへ帰る。迎えてくれるのは、いつも笑顔で気さくに話しかけてくれる女の子のスタッフだった。様々なゲストハウスに宿泊したが、スタッフが明るくて気さくな宿はやっぱり居心地がいい。北京を思い出すと、決まってこの女性を思い出す。弾けるような笑顔で次々と夢を書いてくれた彼女に会うために、また北京のゲストハウスへ泊まりに行きたい。

 

富士山で働く
富士山で働く僕がチベット自治区を旅していた時期は、ガイドを連れていないと自由に旅行することができず、その検問も恐ろしく厳しかった。仕方がないと自由旅行は諦め、ラサからエベレストのベースキャンプを越えてネパールまでの行程をガイドと共に旅することにした。巡り合ったガイドのツリンさんは親日家で、日本についていろいろなことを話した。
「日本の富士山でガイドをしたい。僕は高地に慣れているから1日10往復はできる」「いやいや、さすがに10往復は無理だよ」「できる!私はとても体力があるんだから。すぐだよ、すぐ」ちょっとお調子者の、とても優しいガイド。

 

団結してもっとよい国をつくっていく
アルゼンチンのメンドーサはワインとオリーブが有名な土地である。訪ねてみると生命力が溢れた大きなオリーブの木々があり、歩いていてとても気持ちがいい。太陽の光を浴びながら様々な種類のオリーブの実を食す贅沢な時間。緑が美しく、鳥の鳴き声が聞こえる静かな環境。そんな豊かな農園でオリーブを育てからながら暮らす女性に、夢を尋ねた。「アルゼンチンの人々がもっと団結して、よりよい国家をつくっていけたらいい」豊かな土地で暮らす女性の、豊かな夢を聞くことができた。

 

明日のワクワクやドキドキを見つける
世界を旅する方法は様々で、スーツケースで行く旅行もあれば、バックパックを背負う旅行もある。バイクで走る旅行者もいれば、自転車で進む旅行者にも出会った。彼はバイクに乗って、世界を巡っていた。釣り好きの性格から途中で魚がいそうな湖や川があればバイクを止め、魚を釣る。日本では見たこともないような魚を釣ることもできたらしい。テントを張って、お酒を飲んで、料理を作る。順調に進む日もあれば、トラブルに巻き込まれることもある。気ままなバイク旅は「明日のワクワクやドキドキを見つけたい」と願う彼にはとても合った旅のスタイルなのだろう。

 

ゆとりをもった人でいたい
忙しすぎる仕事を辞め、国内をブラっと旅に出ている途中だという青年。当時の僕も同じような身で、仕事を辞めて長い旅行をしようと思って訪れた最初の国で出会ったのが彼だった。僕らが意気投合するのに多くの時間はかからなかった。「仕事は嫌いじゃないし、お金も必要なのはわかるけれど、その結果として自分自身が壊れてしまいそうになっていたんだ。自分の時間がまったくとれず、心に余裕もなく、毎日なにかに追われていた。心と時間にゆとりを持った人でいたい。今はそうなるためのちょっとした休暇だよ」眼鏡をかけた青年は穏やかな表情でそう話してくれた。

 

平和に暮らす
僕の右手には「硬座席」という見るだけで居心地の悪くなりそうな切符がある。北京から大同へ移動するこれからの8時間を想像し、悪い予感がする。電車に乗ると狭いスペースに荷物が散乱し、カップラーメンの臭いが車内に充満していた。切符を確認しながら自分の座席まで着くと、膝と膝がくっつきそうな近さで向き合った6人がけのコンパートメント席だった。腰を悪くするような直角の背もたれの椅子に座ると、当然のように座席は硬い。「なんだか大変な移動になりそうだ」そう思っていた矢先、向いの席に座る男性に声をかけられた。「日本人か?」「どこへ行くんだ?」「お菓子でも食べるか?」お互いの言葉がわからないながらも筆談と片言の英語で気さくに声をかけてくれる男性。彼や周りの人々の優しさで、とても居心地のよい移動になったのは言うまでもない。

 

中国と日本の文化交流・友好関係
電車の中は出会いで溢れている。二段ベッドが2組だけある4人部屋の寝台電車に乗って20時間走ると、上海に程近い杭州から、香港のすぐ側である広州に着く。「これ、食べるか?」と、1つのみかんをもらったことがきっかけで男性と話し始めた。僕は中国語がわからないし、彼は日本語がわからない。お互いのぎこちない英語よりは伝わりそうな筆談を多用しながら夢を尋ねると、「日本と中国が仲良く交流できることがうれしい」と書いてくれた。ニュースでは時にいろいろなことが報道されているが、僕は中国で本当にたくさんの優しさに触れた。それが今もとても心に残っている。

 

今の仕事が夢そのもの
チベットの標高5200メートル地点に、エベレストのベースキャンプがある。石や岩の大地であるその地にはエベレストを眺めるために、あるいは世界一の高さに立つために、世界中から人々が集まる。そんな荒涼とした土地に、数台のバイクが停められていた。こんなところに何台ものハーレーが?興味が沸いたのでライダーズジャケットを着た男性に話を聞くと、ネパールのカトマンズから国境を越えて、バイクに乗ってきたという。客を連れてバイクでベースキャンプまで旅をするというツアーを企画しているそうだ。いろんな仕事があるものだ。自分の夢は、この仕事だと言う姿がとてもかっこよかった。

 

もっと快適な旅行会社にする
中国のチベット自治区からネパールに入国した。ネパールの首都カトマンズで驚いたのは、上手な日本語を話す人にたくさん遭遇することだ。発音やイントネーションが多くの外国人とは異なり日本人のそれとほぼ同じで、埃っぽいカトマンズの街を歩いていると驚かされる。旅行会社を経営しているこの青年も、実は日本人なんじゃないかと思うくらいに流暢な日本語で話していた。「この旅行会社をお客さんにとって今よりももっと快適で、満足してもらえる会社にしたい」こんな難しい日本語を独学で覚えたというからやはり驚きだ。

 

お店を開きたい(結婚相手のお金で)
ぼんやりとコーヒーを飲んでいると、寝癖だらけの男性が話しかけてきた。「僕は日本に住んでいたんだ。もちろん日本人の彼女がいたよ」「いつか日本で商売がしたい」とりとめのない話は続き、詐欺でも仕掛けてくるのではないかと警戒する。「僕の夢は日本人女性と結婚することだよ」 怪しい。ますます怪しい。「そしてその人のお金でお店を開きたい」「今は仕事をしていない」「2年間仕事をせずにこうやって過ごしている」「だいたいいつも家で寝ている」「暇なんだよ」その後、この男性はお酒を飲み始めたと思ったら一人酔いつぶれてしまい、話していた通りに寝てしまった。ただのダメ男だった。

 

お客さんを大切にする
ネパールのナガルコットは日本でいう蓼科のような土地で、標高が高く空気が澄んでいて、ヒマラヤの山々が美しく見える。暑くて埃っぽかったカトマンズとは全く異なる環境で、この土地のもつ静かな時間にとても癒やされる。その癒やしの地に、ノリタケコーヒーという日本人旅行者にとっては有名なお店がある。店主がとんねるずの木梨憲武さんに似ていることからその名がついたらしい。「日本人はノリタケさん!と言って、たくさん遊びにやってきてくれる。私はその人たちに感謝し、これからもたくさんの方をもてなしたい」ノリタケさんは、素敵な笑顔でそう話してくれた。

 

地球の環境を守りたい
カトマンズの宿でちょっと変わった風貌の男性と出会った。もじゃもじゃのヒゲに、ヒッピー風な格好。ネパールの男性にしては極めて珍しい。僕と目が合うと、人懐こい笑顔でウインクをしてきたので近付いて話をした。「僕の夢は、僕の活動そのものだよ。どんな活動かって?今、地球は恐ろしいスピードで壊れている。知ってるだろ?僕は環境や自然を保護し、その現実や対策を多くの人に伝えていく活動を6年間行ってきたんだ。これこそが自分の使命であり、夢そのものなんだよ」ヒッピー風の男性は、子どもが夢を語るような笑顔で力強くそう話してくれた。

 

愛する女性と健康に暮らしたい
日本人女性と結婚したハンガリーの男性。極度の飛行機恐怖症のため、日本に行くときにはいつもハラハラドキドキ。飛行機を降りるときには、汗でびっしょりだと屈託のない笑顔で話してくれた。「愛する女性と健康に暮らし、将来は日本に住んでみたい。日本はとても居心地がよくて、親切な人たちが多かったから。まあ、行くまでが大変なんだけどね」日本で待ってるね。

 

君の幸せを願っている
公園でぼんやりしていると、おじさんがチャイを売りに来た。温かい笑顔と穏やかな雰囲気に好感をもち、チャイを買った。それから数日間、僕は毎日公園に通い、簡単な挨拶をしてチャイを買った。ある日、時間の空いていたおじさんに夢を尋ねた。しかし、共通の言語を持たない僕たちはなかなか深い意味での意思疎通ができず、お互い顔を見合わせながら困り笑いを浮かべていた。どうにか自分の思いを伝えようと、おじさんは小さなスケッチブックいっぱいに文字を書いてくれた。「イスタンブールに来てくれてうれしい。君の幸せを願っている」片言の英語でそう伝えてくれるおじさん。この男性からチャイを買って本当によかった。

 

この店そのもの
トルコのカシュという町から船に30分乗ると、ギリシャのメイス島に着く。メイス島はきれいな海に面した穏やかな町が印象的な小さな島で、日本ではお目にかかれないような濃い色の青の洞窟がある。決して多くはないが、僕のような観光客もやってきて、バカンスを楽しんでいる。島を歩いていると、海に面した道沿いに青空露店が開かれていた。そこには手作りの雑貨が無作為に並んでいて、目的もなく眺め歩いているだけでおもしろい。この島のように穏やかな店主と目が合い、声をかけた。店主は雑貨を指差しながら「自分の夢は、この店そのものだ」と話してくれた。その自信に満ちた姿が、なんだかかっこよかった。

 

喜捨の心をもち続ける
イスラムの教えには「裕福な者が貧しい者へ寄付・喜捨・施しをする」という考え方がある。裕福なものが貧しいものを支えるということは、つまり周囲に感謝し、他の人々を気遣う心を意味すると聞いたことがある。日本ではイスラム教というとニュースで度々報道される過激で暴力的なイメージをもつ人が多いのかもしれないが、旅をしている時に感じた僕の印象はやはり異なる。僕が理解するまで何度も穏やかに説明をしてくれた青年や、困っている時に声をかけてくれたエジプトの人々。観光業に携わる人の中には少しお節介な人もいたけれど、イスラム教の青年たちは僕が困っているといつも親切に助けてくれた。

 

結婚する
恋愛について話す女性は、どこの国の女性も皆とても活き活きとする。それは、ヒシャブという布で顔と手以外を隠しているイスラムの女性も同じで、喜々として話すその姿はとてもかわいらしい。きっと今頃、彼女に似た小さな子どもがカイロの街を走り回っているのだろう。

 

世界遺産を造る
エジプトのピラミッド、スペインのサクラダファミリア、インドのタージマハル。たくさんの世界遺産を巡っているうちに、その地にあまりに多くの人々が集まることに嫉妬している自分がいることに気がつき、自分自身がそれらを造る存在になりたいと思うようになったという青年。日本なのか、はたまた外国なのか。建築家でも彫刻家でもない彼が、どんなものを造るのか。彼の造る世界遺産を見に行きたい。

 

優秀なガイドになる
「夢をスケッチブックに書いてほしい。それを持って写真を撮らせてほしい」そうお願いすると、様々な反応がある。快く引き受けてくれる場合もあれば、苦笑いを浮かべて断わられることもある。彼は僕が今まで撮ってきたたくさんの人々の中で、一番恥ずかしそうにカメラの前に立った。周りをキョロキョロと見回しサングラスをかけて「すぐに撮ってね」と言って頬を赤らめた。

 

オーナーになって自分の宿をもつ
ハンガリーのアンダンテやエジプトのサファリなど世界各地に旅人の間では名の知れた宿がある。ヨルダンの首都アンマンにある宿は日本人バックパッカーにとってとても有名な宿だった。宿の創業者が日本人と深い関わりをもっていて、その意志が受け継がれて今も日本人には丁寧に対応してくれてるそうだ。そんな評判を聞きつけた日本人旅行者が自然とよく集まった。その宿でとりわけ親切にしてくれたのが、彼だった。「オーナーになって今よりももっと快適な宿を作りたい」彼がオーナーの宿ならば、きっとすぐに評判になって多くの日本人が集まる宿になるはずだ。

 

世界中を旅行したい
タイの北部に首長族の村がある。女性たちは首に金属の輪を巻きつけることで首を長くし、より美しい女性になっていくそうだ。村を歩いていて出会う女性のほとんどの首が長い。そして、顔つきが日本人とよく似ている。日陰で休憩していると、凛とした雰囲気をもつ理知的な女性と話ができた。「ここにはたくさんの観光客が来るからいろいろな言葉を知っておいたほうがいい」その女性は観光客と触れ合う内にそう感じ、独学で勉強を始め、タイ語に加えて英語・中国語を話せるようになったという。「自分が学んだ言語を使って、いろいろなところを旅してみたい」世界は果てしなく広い。彼女の夢が叶い、いろいろな文化や景色を見て来てほしい。

 

故郷に帰りたい
旅を続けていると、ふと日本に帰りたくなる時がある。もちろんすぐに帰ることはないのだが、いざとなったら帰りたい時に帰れる場所があるという安心感は、旅を続けていられる原動力にもなった。イスラエルとパレスチナの紛争から故郷のパレスチナを追われ、ヨルダンの首都アンマンで暮らしている青年と出会った。自分の国を追われ、居場所を失って異国で暮らし、帰りたい場所に帰ることができない環境を想像する。「自分の夢は、自分の国に帰ることだ」こんな夢があるということを、想像すらしたことがなかった。

 

もっとよい宿をつくりたい
便利なことが、すなわち最高だとは限らない。美しい海に囲まれたザンジバル島の、とても辺鄙な場所にある一つの宿。そこにはレストランもなければWi-Fiもない。ましてや、ホットシャワーもなければ電気までない。それでも、太陽が映える美しい海が目の前にあり、夜になれば一面に輝く星がある。「この宿には何もない。それでもお客さんを満足させることはできるかもしれない。お客さんがもっと、気持ちよく過ごせるような宿を作っていきたい」朝起きて目の前のビーチを散歩し、気が済むまで勝手に泳ぎ、乾いた喉を潤して昼寝をする。美しく染まる広い空を眺め、無数の星を堪能する。そんなシンプルな時間を味わった、とても思い出深い宿の店主。

 

国や宗教の争いがない時代が来ること
イスラエルのエルサレムは、ユダヤ教の嘆きの壁・イスラム教の岩のドーム・キリスト教の聖墳墓教会と3つの宗教の聖地が点在している特別な場所だ。特別な場所を共有するということは、つまりそれは争いの歴史があるということでもある。エルサレムの土地を巡っては今も争いが続いている。僕にとって貴重だったことは、その争いに反対する人と出会い、その人たちの話を聞けたことだ。「War is not answer」そう言って穏やかに語りかけてくれた姿が、とても印象的だった。

 

金持ちになりたい
タンザニアのザンジバル島にはミルキー色の海に白い粘土質の砂浜で、ぞっとするほど美しいビーチがあった。ビーチに程近いところにレストランがあって、イカのフライがおいしくて滞在中に何度か通った。ウェイターの男性は僕を見るといつも愛くるしい表情で声をかけてきてくれた。「今日はどこへ行ったんだ?海?そうか、この町には海くらいしかないからな」「とてもきれいな海だよ」「そうだな。でも、海だけじゃ金持ちにはなれない」お店をもっと増やして有名になって、たくさんのお金がほしいと青年は繰り返し話した。

 

世界平和
アラビア文字を見ていると、どうやって読むのだろうと不思議な感覚になる。もちろん外国人から見るひらがなもそれにあたるのだろうが、やはり見慣れない文字には興味が湧く。モロッコのメルズーガは目の前にサハラ砂漠が広がる静かな村だ。季節によっては「めちゃくちゃ暑かった」と言う人もいたが、僕が訪れた11月は日中の日差しの強さが冗談のように夜が寒かった。そして、星がとてもきれいだった。砂漠の目の前にある争いとは無縁そうなこの町でも、世界の平和を願う人がいるということにどこか安心する。

 

全ての人が幸せになってほしい
「スペイン語とラパ・ヌイ語の、どっちで書けばいい?」「ラパ・ヌイ語!」恰幅のよい女性がスラスラとスケッチブック一杯に文字を書いていく。いろいろな国の人が直接書く文字というのは見ていておもしろいものである。モアイで有名なイースター島で使われているラパ・ヌイ語と言っても文字はアルファベットなんだなと疑問に思いながら、スケッチブックを眺める。「ここには世界各国から旅行者がやって来る。ラパ・ヌイの人も、旅行者も、日本の人も、全ての人が幸せになってほしい。世界中が平和になることを祈っている」この笑顔によく似合う、とてもハッピーな言葉が書かれていた。

 

大統領の椅子を作る
標高3,300mを超えるクスコの町には職人が手作りしたお土産屋がいくつもある。ハンドメイドの布やアルパカのセーターが売っていたり、カラフルな靴をオーダーメイドで作ってくれる店もあって息を切らしながらもついつい町を歩きたくなる。ある日、あてもなく町歩きをしていると革製品を扱った店があった。職人が革を使ったベルトや帽子を手作りしているらしい。カメラのストラップが壊れかけていることを思い出し、オーダーメイドで作ってもらうことにした。数日後、革でできた美しいストラップが完成した。丁寧な仕事で、細かな要望もしっかりと伝わっている。「大統領が座る椅子の座面を、革で作りたい」寡黙だけど実直な店主は、きっと素敵な椅子を作るはずだ。

 

ガラパゴスで日本語ガイドになる
エクアドルとは赤道を意味する国名である。首都キトには緯度ゼロの位置に建てられた赤道記念碑があり、観光客にとっては定番の観光地である。が、これがびっくり。その記念碑はよくよく測定してみると緯度が0ではなく、少しずれた位置に作ってしまったらしい。恐ろしい。そんな間違えがあるなんて…。大きなモニュメントの横に本物の赤道が通った小さな掘っ建て小屋があり、そこで働いていたガイドと話をした。僕が日本人だとわかると、目を輝かせて日本語を話した。「ガラパゴスへ移住して日本語ガイドになるために、勉強しています」ガイドの青年は、キラキラと輝いた瞳でそう伝えてくれた。

 

息子が幸せになってくれること
ブラジルに入国する直前になって、ブラジルに小学校時代の同級生が住んでいることを思い出した。連絡は全くとっていなかったがいろいろな友人の伝手を頼り、なんとか彼女と連絡をとって会うことことができた。ありがとう、facebook。彼女は日系ブラジル人で、小学生のときに僕が通う学校へ転校してきた。中学校卒業ぶりに会った彼女は「まさかブラジルに同級生が遊びに来てくれる日がくるとは思わなかった」と、目を潤ませながら話してくれた。最後に会ってから10年以上の時が経っていたけれど、その表情には小学校時代の面影がはっきりと残っていた。ブラジルを訪れて本当によかった。彼女の瞳を見て、そう思った。

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