キューバの東にあるパラコアに、誰もいない暗闇から光が刺した
どうして好きなのかわからないけれど、 13 なんとなく好きな光景がある。
人にはいろいろな表情があるように、町にも様々な表情がある。
出会えたからといって、いつでも再会できるとは限らない。
通りを歩けば幾らでも喧騒の光景が飛び込んでくる。
そこから少し離れてみるだけで、静寂はそっと訪れる。
いくつもの時を超えて、暮らしが根付き、町は育ち、人が過ぎ去ってゆく。
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2016年と2019年にキューバを旅して撮影した。アメリカとの国交が回復したことで、変わりゆく前のキューバを撮影したいと思ったことが最初の動機だった。陽気な国民が音楽を奏で、上半身裸姿の少年が路上で野球をし、派手な塗装のクラシックカーが走り去っていくような喧騒を期待してキューバへ向かった。
メキシコシティを経由し21時間かけてやっと到着したキューバには、 確かに期待通りの世界が広がっていた。 街を歩けば “これぞキューバ” と頷きたくなるような音楽や、ゲバラの名残が五感を刺激する。だが、想像通りの街を歩き、宿のベッドに腰を下ろして一日を振り返ったときに残ったものは、不思議と強烈な違和感だった。
渇望していた喧騒の光景は初めて訪れた場所であるにも関わらずいつかどこかで見たような感覚を呼び起こし、灼熱の太陽を浴びながらいくつもの道を歩いてみたものの、音楽も野球も派手なクラシックカーもあまり撮ることはなかった。
思い返せば過去にもそんなことがあった。ガイドブックやSNSを通して繰り返し想像してきた世界を目の前にすると、最初こそ心躍るがそれ以降は徐々に興味が萎んでいく。では、どんな光景ならずっと心に残るだろうと考えていたが、キューバを訪れて初めて気づくことができた。
自分のフィルターを通してその土地の断片を見つけられたとき、旅の記憶は深まり、心に残り続ける。誰かの軌跡を辿るだけでは得られなかったキューバの色彩が、本質的に惹かれたものを見つけた途端に鮮やかな色味を増して強くなった。 喧騒ばかりを追っていたら気づくことがなかった静寂を含んだ光景は、同じ場所であるにも関わらず、 はっきりと美しく浮かび上がって見えた。
旅は外の世界との出会いの機会であると同時に、内の世界と出会う機会でもある。人の想像力は無限の可能性を拡げてくれるものであるが、世界をどこまでも狭くしてしまう一面も内存しており、誰かに提示された世界だけではその先にある拡がりに気づくことはできない。じっと目を凝らして見えた世界は、きっと今よりも少しだけ美しくなる。